越前焼の特徴
・荒々しさと重量感
・中世から引き継がれた「ねじ立て」技法
・自然釉が作り出す豪快な面持ち
重量感を出す良質でガラス質を多くふくむ土
越前の基本は無釉の焼締め陶で、赤褐色の地肌と緑色の自然釉のコントラストが美しい趣(おもむき)を生み出します。地肌の赤褐色は、良質かつ耐火温度の高い白色粘土を1200度以上の還元焔で焼成することで生まれ、さらに、窯で焼く間に器にふりかかって溶けた薪の灰が、緑色の釉薬となって美しく流れ、独特の模様となります。
越前の土はガラス質を多く含み、同じガラス質の釉薬がのりにくい性質があります。陶器は釉薬をかけないと素地から水漏れをしてしまいますが、越前焼は高温で焼くことでガラス質が溶け、粒子の隙間を埋めるため、より堅く焼き締まり、光沢が出て、どっしりとした重量感のある器になります。
伝統技法で作られてきた大型の器
中世越前焼は大型の壺、甕(かめ)、すり鉢などがほとんどで、これらはひも上の粘土を底の縁に巻き上げる「ひも作り」の技法でつくられました。越前焼では「ねじ立て」と呼ばれ、造形は常滑焼と似ています。
現在作家では、「越前ねじ立て技法」の藤田重良右衛門(ふじたじゅうろうえもん)や、ねじ立てにろくろでの成形を組み合わせた「越前ねじ立てろくろ技法」の左近甚太夫(さこんじんだゆう)が、この伝統的な成形技法を受け継いでいます。
現在の越前焼は伝統的な焼締め陶の他、モダンクラフトのような風合いの物、オブジェ風のものなど、自由な発想で製作されています。
越前焼の歴史
●平安
現在の福井県丹生郡宮崎村、織田町一帯で須恵器が焼かれ、北陸最大の窯場となる。
●平安末期
常滑の技法が導入され焼締め陶が作られ始める。
●室町
窯が大規模になり越前焼の最盛期を迎える。
●桃山
鉄分の多い赤土を器表面に塗る技法が登場し、焼締め、自然釉が衰退する。
●江戸中期
施釉陶器、色絵磁器に押されて衰退
●明治
瀬戸や信楽、九谷などから陶工を招いて磁器や色絵陶器づくりが始まる。
1906年:福井県陶磁器徒弟養成所開設
●昭和
1947年:福井県窯業試験場設立
このころから小山富士夫により「越前焼」という言葉が使われる。
1970年:越前陶芸村建設開始によりやきものづくりの環境が整備される
●現在
窯元が越前町旧宮崎村内に25軒、福井県内に約70軒。
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