九谷焼の特徴
・九谷特有の「青手」のインパクト
・バラエティ豊富な再興九谷の技
・大皿、大鉢などに見られる大胆な絵模様
濃厚な色使いの数々
濃い黄、緑、青(紺)、紫...など、迫力ある色彩が器いっぱいに広がる九谷焼の青手は、他の焼き物には見られない特徴と言えます。九谷焼の色絵には「青手(あおで)」「五彩手(ごさいで)」が有名で、特に青手の色使いは日本の他の焼き物や美術品には見られず、油絵のように濃厚で奥深い色使いが珍重されています。
九谷の青手
青手(あおで)は見込み(表面の模様)に青色を多く使った磁器ことで、青九谷とも言われます。実際には緑色を呈し、陶器のように見えます。見込みには動植物・山水・幾何模様・名画などが描かれ、器の表裏を埋めつくす塗埋手(ぬりうめで)で盛り上げて作られ、華麗豪華な作品です。高台(こうだい(裏側にある底の脚))の中に「角福」(二重四角の中に福の吉祥字のある銘)を持つものが多いです。
青手は17世紀に焼かれた古い九谷焼(古九谷)の伝統の色使いであり、当時の作品を見ると、絵柄も形も同じものがほとんどありません。一般工芸品として量産されたものではなく、一品一品丁寧に仕上げられた美術品として販売されていたと思われます。
一般的に焼き物は素焼き、本焼きと二度焼かれますが、古九谷は素焼きなしで釉薬をかけ、本焼きのみでつくられます。青出の絵具は厚く盛られ、筆遣いはのびのびとしており、力強い仕上がりになります。
青出の4色「黄、緑、青(紺)、紫」に「赤」を加えた5色を「九谷五彩」と言います。青手には無い赤を強調して金彩を施した「金襴手(きんらんで)」など、さまざまな意匠があります。
再興九谷
古九谷の作品群がどこで焼かれたのかは、長年、陶磁器界の謎とされてきましたが、現在有力なのは九州の有田(ありた)で焼かれていたという説です。
現在の九谷焼は、1823年に現在の金沢市卯辰山(うたつやま)のふもとに開かれた春日山窯で、古九谷を手本として焼かれ始めたものが始まりです。古九谷に対して、春日山窯以降、幕末から明治時代にかけて開かれた窯は「再興九谷」と呼ばれています。再興九谷はそれぞれに特徴を持つ作風を制作し、現在の九谷焼につながっています。
春日山窯
再興直後、京都の文人画家・青木木米(あおき もくべい)の指導により生まれた作風で、19世紀の初めごろに流行しました。前面を赤く塗り花鳥や人物画が描かれています。
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民山窯
加賀藩士 武田秀平が1822年に開いた窯です。春日山窯の作風を受け継ぎ、赤絵の具を使って繊細な花鳥文を描いたものが多いです。
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吉田屋窯
1824年に豊田伝右衛門(とよだ でんえもん)が開いた窯です。古九谷の青手を取り入れ、器全体を絵具で厚く塗られています。
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飯田屋窯
1835年、宮本屋宇右衛門(みやもとや うえもん)が開いた窯です。赤で人物を描き、全体を小紋などで埋めて金彩を施す「八郎手(はちろうで)」が用いられています。
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■九谷庄三
九谷庄三は近代九谷の祖と言われる人物です。幕末から明治にかけて流行り、古九谷風、吉田屋風、赤絵、金襴手など、さまざまな手法で制作しています。晩年は洋絵具も用いました。
九谷の絵柄「窓絵」「地紋つぶし」
九谷焼の絵柄として有名なのは「窓絵(まどえ)」や「地紋つぶし(じもんつぶし)」です。古九谷の時代から特徴となっている構図で、17世紀前半頃に、中国の景徳鎮窯で盛んに使われていた様式です。
窓絵
窓絵とは、皿や鉢の器面の一部に白い空間(窓)を作り、その窓の中に絵や模様を描きます。窓の周りには直線や曲線他、細かい幾何学模様ですき間なく埋めていきます。
地紋つぶし
器面に絵模様を描いて、周囲を幾何学模様で埋める手法です。
どちらも幾何学模様に囲まれた絵柄が明確に浮かび上がる効果があり、九谷焼が強い印象を与えるのはこの構図のためでもあります。
古九谷は砂混じりでざらつきが目立ちました。そのため、元々はこのような塗りつぶしは器肌の粗さを隠すためのものでしたが、九谷焼の個性となり、デザインになっていきました。
九谷焼の生地
九谷焼は華やかなデザインと色合いが魅力ですが、生地にも特徴があります。九谷焼の原料となっている花坂陶石(はなさかとうせき)は鉄分を多く含み、この陶石を還元焔(かんげんえん|酸素の少ない炎)で不完全燃焼させて焼き上げると、純白よりもやや青みがかった色になり透明感が出ます。この透明感のある青い地肌が大変優雅で、九谷焼の鮮やかな色彩を印象的な美しさに引き立たせています。
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